2005年08月14日

ルビコン渡河

「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」

おそらく、彼は直前まで迷っていたのではないか。決行した場合のシナリオは既に出来上がっていただろう。しかし解散に踏み切れば、そこに待っているのは自らの党を二分する内戦であることもまた明らかだ。党内の混乱に乗じて「漁父の利」を狙われるというリスクもつきまとう。郵政民営化以外にも問題は山積しているのに、それらを事実上棚上げしてしまうことへの批判もまた避けられないだろう。

「ルビコン川」を前にして、郵政民営化が否決された後も暫し逡巡していたであろうことは想像に難くはない。それでも敢えて川を渡ることを決意したのは、改革の潮流を止めないという目的のために、全てのリスクを引き受けようという覚悟を決めたからだろう。

とは言え、覚悟を決めるにはそれなりの根拠が必要になる。具体的に言えば、解散後に予想されるリスクを分析して、それぞれのリスクに対する対処の仕方を予め決めておくということだ。そのような周到な計画を立てた上で、リスクを上回る収穫が期待できると判断して初めて、一か八かの賭けに打って出ることができるようになる。このプロセスを経ない決断は、単なる「無謀」に過ぎない。

周到にリスク分析と対処を熟慮した上での決断か、単なる無謀なのかを客観的に判断する指標の一つは「決断した後に迷いがあるかどうか」という視点が挙げられると思う。
ルビコン渡河に逡巡したものの、決断した後は一切迷いがなかったカエサルは内戦を制して「ローマの平和」を確立し、帝政への道を開く。その間、わずか5年。前途のビジョンなくしては成し得ない業績である。一方で「カエサル暗殺」という決断を下したブルータス一派は、彼らにとっての「ルビコン川」を渡ったものの、その後のビジョンや戦略を持たなかったが故に、帝政への潮流を変えることは叶わないままに歴史の舞台から退場してしまう。
両者の違いは、自らの決断が必然的に招くであろう事態への予測と対応策や戦略の有無に尽きるのではないか。事前に充分な分析がされていれば、決断を下した後の行動には迷いが生じる余地はなくなるものだ。

この観点から考えてみると、解散を決断した後の小泉首相の言動には迷いがないと言えると思う。一貫しているのは、「郵政民営化に代表される公務員の削減、即ち行政機能の縮小に対する是非を問う」という一点に論点を集中させるということだ。

例えば、郵政民営化法案に反対票を投じた自民党議員には衆院選での公認を与えないと明言し、反対派の急先鋒と見なされている議員の選挙区に、公認の対立候補を擁立するということをこれ見よがしに行っている。これは多分にマスコミや世論の動きを意識したものだろう。つまり、このような内紛劇を敢えて世間に曝すことによって、注目は「郵政賛成派vs反対派」という解りやすい構図に集まる。世論の注目がここに集中している限りは、郵政法案で対案を出すこともなく存在感を示せなかった野党に「漁父の利」を持っていかれるリスクは抑えることができる。そんな計算が働いているのだろう。

「反対派への刺客」云々で世間に話題を提供しているのは、論点を郵政民営化への是非以外に逸らせないための手段であり、解散に踏み切る前に予め用意されていたシナリオの一つなのだ。小泉首相としては、世間の注目が党内の内紛劇に集まっている限りは野党の出る幕はなく、勝算があると踏んでいるのだろう。だからこそ、世間の耳目を集める話題を提供し続けているのだ。

「ルビコンを渡る」と決めた裏付けはここにある。全ては予め計算されていたことなのだ。野党が口を挟む余地があるとすれば、それは郵政以外の問題点に注目を集められた時に限られる。同じくその点を強烈に意識せざるを得ない野党は論点を郵政以外に移そうと躍起になっているが、現在の段階ではその試みは成功していない。そして小泉首相にとっては、野党が論点を郵政から逸らそうとするということも計算済みだろう。いや、事前にそれぐらい読めていなくては困る。

9.11の選挙は郵政を典型例として「行政を縮小するのか否か」の一点に争点を絞って是非を問うものだ。確かに、これ以外にも論点はあるし、蔑ろにできるものではないと思う。しかし、まずこの一点を突破しなければならないという思いがあるのだろう。だからこそ、「ルビコンを渡る」という賭けに出ることを決断できるのだ。そう考えると、一部で言われているような「郵政法案否決への腹いせ解散」という見方は的を外していると思う。

小泉首相にとっては、郵政法案否決は周到に策略を練った上に訪れたチャンスであり、今回の衆院選は自民党内の既得権益にしがみつく議員を粛清するという目的を果たす制度として機能すると期待できる。そのためには論点を逸らそうとする野党を牽制するための戦略が不可欠となるわけだ。これまでの言動を見る限りでは、小泉首相の動向はこの路線で一貫していて迷いがない。だとすれば、解散に踏み切ったのは確信犯的な決断であって、衝動的なものではない。全てが、反対派粛清というたった一つの目的を目指した策略なのだ。



(追記)
冒頭の引用は、ルビコン渡河に際してのユリウス・カエサルの言葉。
「ローマ人の物語IV」(塩野七生著、新潮社)より。
posted by cesare at 23:59 | 政治
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