2005年07月26日

リーダーシップは先天性の才能か

出典はこちら。@ITの「リーダーシップは生まれつきの才能ではない」より。
結論としては、リーダーシップは先天的な能力ではないから、努力と経験次第で身につけることができるというもの。

リーダーシップが才能が先天的ではなくて、後天的に身につけることができるという点には同意。但し、「ちょっとしたテクニックを学べば簡単に身につく」という意見には疑問の余地がある。

確かに、組織の運営が順調な時に要求されるリーダーシップであれば、コツとテクニックを習得すれば上手くいきそうだ。メンバーの意見をまとめたり、ビジョンを示して指針を打ち出したり。必要となるのは、主にコミュニケーション・スキルだ。例えば、効果的な説得の仕方や、巧く意見を引き出す方法、部下が積極的に仕事に打ち込めるような指示の出し方etc.
これらはリーダーという立場に立つ人の華やかな側面だと思う。

しかし、現実はと言うと組織運営は常に順調とは限らない。むしろ問題を抱えていることの方が多いのではないか。やたらと足を引っ張るメンバーがいたり、内部で泥沼の政治抗争が展開されていたり、上位の立場の人間や取引相手などから干渉されたり。リーダーの真の実力が問われるのは、こういった問題に直面した時なのでは。

比較的軽度の問題であれば、コミュニケーション・スキルの活用で円満に解決することも少なくはないと思う。しかし、中にはそれでは歯が立たない問題も出てくるだろう。身内の人間が傷を負う覚悟が必要だったり、内部の対立する勢力のどちらかを切り捨てなければならないという板挟み状態になったり、現在と今後の関係や利益を危険に曝してでも取引相手と闘わなければならない状況に追い込まれたり。そのような場合に往々にして必要になるのは「目的のために必要ならば、例え世間で非道徳とされている手段でも選択する」ということだ。

例えば、あるメンバーの日頃の言動が原因で組織全体の雰囲気が悪い方に流されているとする。一部にはその人物に同調して悪い流れを加速させようとする人々も現れ始め、拡大・蔓延の傾向にあると思われる。説得という方法が功を奏しなかった時にリーダーが取れる手段は?
答えは、問題の中心人物を粛清することだ。それも、当人のメンツが傷つかないようにさりげなく閑職に回すなどという中途半端なやり方ではダメだ。組織から追い出すなり、完全に仕事も権限も剥奪して「干す」ぐらいに徹底的にやる必要がある。でなければ、既に拡大してしまった負の流れをくい止めることまではできない。

確かにこのような徹底的なやり方では傷を負う人間が出てしまうし、組織自体に及ぼすショックも大きいし、リーダー自身の人間性にも疑問が投げかけられることになる。だが、危険を冒してでも敢えて厳しい手段を選択することで、問題が解決されるならそれで良いと考えられるかどうか。

これはもうテクニック云々の話ではない。その人自身の生き方や哲学・思想が関わる問題となってくる。勉強して身につくような類いの「スキル」ではない。

「簡単に身につく」という意見に同意できないのは、このようなリーダーシップの陰の側面に対する洞察に欠けていると思うからだ。そして、悪人になりたくないが故にリーダーシップを半ば放棄しているとしか思えない「リーダー」を身近に見ているからでもある。

かつて「リーダーたる者は、目的のために悪しき手段を選択することも必要だ」と説いたのはルネッサンス時代に生きたマキァヴェリだが、彼の著した「君主論」が現代でもなお読み継がれているのは、いかにリーダーシップが困難なものであり、またその困難さが正しく理解されていないかを物語っていると思う。
年齢に比例していつの間にか偉い立場になってリーダーシップを発揮する羽目になってしまったような人を全否定するつもりはない。しかし、せめて「やってるうちにコツやテクニックを身につけて慣れてくる」というような甘い幻想は捨ててほしい。時には冷酷な手段を用いなければならないこともある、ということを理解しようとしないなら、残念ながらその人については「リーダーシップは後天的には身につかない」と見なす他はなくなってしまうから。
(2005.07.28追記)
誤字修正。

ついでにフォローも。
あくまでも組織のリーダーという立場での話なので、通常の人間関係(友達とか家族とか)でこんなラディカルな考え方が必要だとは思ってないです、さすがに^^;
一応、念のために。
posted by cesare at 23:05 | 人間関係
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