2006年09月15日

Hunters of Dune

Brian HerbertとKevin J.Anderson共著で律儀に毎年一冊ペースでリリースになっているDuneシリーズの続編が今年も出版されたので、一通り読んでみた。

ちなみにこのシリーズ、オリジナルはFrank Herbertによる全6巻から成り、Frank亡き後に父親の遺産の中から続編のメモを見つけた息子のBrianが遺志を受け継ぐ形で小説化している。しかも、いきなり続編を書き始めるのではなく、まずはオリジナルの登場人物のレト公爵、ハルコンネン男爵達の若き日の物語を3部構成で、続いて約1万年前のButlerian Jihad期を同じく3部構成で描いてから、ようやくオリジナルの続編に取りかかるという念の入れよう。今回出版された「Hunters of Dune」はその続編の前半と位置づけられている。

以下、ネタバレご注意。あと、翻訳が存在せず、固有名詞等に原文通りのアルファベット表記を多用するので、あしからず。

わざわざ6編も遠回りして古い時代を描いただけあって、過去から張り巡らせた伏線を最大限に活用している。と言うより、続編を書くために伏線が必要だからこそ「Prelude To Dune」と「Legend Of Dune」シリーズが書かれたと言っても過言ではない思う。例えば今作の終末で正体が明らかにされる「謎の老人と老女」は、その言動から表される性格の違いによって、「Legend」シリーズで登場したOmniusとErasmusであることが暗示されていたりする。他にもスパイスを人工的に量産する話は「Prelude」シリーズのテーマだったし、明らかにされたHonored Matresの出自も、Axlotl tankがTleilaxuの女性達であるという予備知識がないとインパクトに欠ける。

Frank Herbertによるオリジナルは、どちらかと言うと登場する各勢力の陰謀や策略、また哲学や宗教の分野への洞察が主なテーマとして描かれていた反面、物語としてはやや単調である印象だった。特に「砂漠の神皇帝」以降は、登場人物も物語が展開される場所も限られていて、大半が一部の登場人物たちの対話と内省で成り立っている。これに比較して、Brian/Kevin Anderson編は、より「物語り」に比重を置いた構成になっているのが特徴となる。哲学や内省よりは、登場人物たちの感情の起伏を織り込みつつ、次々と事件が展開していくドラマ仕立てになっているというところか。

この違いは好き嫌いの解れるところであろうと思う。Frank流の静けさを湛たえた深い洞察を好む人達には、この続編は違和感があるのでは。とは言え、この続編はFrank流の記述では描ききれなかったのではないかと思う。対話と内省だけを核にして構成するには、話が壮大すぎるのだ。なにしろ、15,000年の歳月を経て主要な登場人物が勢揃いし、且つ彼らのそれぞれが各々の因縁や歴史、感情を携えて再登場するのだから。大円団へ向けての彼らの振る舞いを描写するには、彼ら自身が持つ歴史を予め語っておく必要があった。6編もの「前史」が必要だったのは、まさにこの大円団への物語を描写するにあたって、登場する人々の機微を提示しておく必要があったからなのでは。

とは言え、残り1編だけで全てを描ききれるのだろうか、という点については心配が残るところ。Butlerian Jihad期を描いた「Legend」シリーズも、長大なストーリーを無理に3編のボリュームに収めようとしたせいで、やや表面的で「粗筋を追ってみました」という印象になっていたのも確かなので。予定では次作で完結することにしているらしいけど、このシリーズも3部作にしておくぐらいが妥当なのでは、とも思う。急ぎ足になるあまりに中途半端な終わり方をするのは勿体ない。

ところで、オリジナル作品の頃から永らく翻訳をしてこられた矢野徹氏の亡き後、日本語訳は出るんだろうか? 後継者が現れれば良いのだけど。

posted by cesare at 01:14 | その他
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